スポーツ、まだ醒めない夢

動く一瞬一瞬の「驚き」「感動」に夢をのせて

東洋大学・相澤晃は「駅伝化石時代」を終わらせた

 
 
 
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 映画『ジュラシック・パーク』は、「恐竜」という誰が見ても驚嘆できるものを再生させたい科学者の願いが、思わぬ暴走に繋がっていくというパニック映画の名作だが、実際のところ、とんでもないものを見てみたいというのが人間としての本能だろう。化石を見て骨の数を語るよりも私達がそそられるのは、大きくて動くCG映像の中の恐竜なのだ。


 スポーツに当てはめてみると、より一層その「驚嘆」への憧れは強いはずだ。怪物、伝説、超人、それらを目の当たりにする瞬間を私達はいつも心待ちにしている。


 2009年の元旦。東京箱根間往復大学駅伝競走、通称「箱根駅伝」でメクボ・ジョブ・モグス(33)の快走は異次元だった。ケニアから来た山梨学院大の留学生モグスは最後の箱根駅伝を4年連続の2区で迎えた。1年生で早くも区間賞。3年生のときも、やはりハイペースで突っ込み、2区の区間新記録。

 そして2009年、4年生のモグスはその記録を1時間6分4秒まで縮め多くの陸上ファンを驚かせたのだ。2年で計42秒区間記録を更新。まさに恐竜を見て、強い、大きいと感じるような迫力をテレビの中の選手に感じた。そして、日本人じゃかなわないと思った。


 恐竜にはティラノサウルスだけじゃなく、ヴェロキラプトルや、プテラノドントリケラトプスがいるように、あの当時の箱根駅伝は早稲田に竹澤健介(33)がいて、東海に佐藤悠基(33)がいて、当時1年だった柏原竜二(30)も山の神として登場したころでもあった。

 

 それから11年後、2020年1月2日。鶴見中継所を飛び出した相澤晃(22、東洋大学)は隣を走る東京国際大の伊藤達彦(21)とともに湘南へと向かう道を駆けていた。

 その視線は遠く、遠く前を捉えている。前走者でもなく、この2区、23.1キロでもなく、芦ノ湖のゴールでも大手町でもなく、もっと大きなものを摑んで、時代の針を動かそうとしているかのごとく――。


 実況のアナウンサーが気づいたように、相澤がモグス区間記録ペースに果敢に挑んでいることを伝えていた。テレビの中の相澤の姿は自信にみなぎっている。

 昨年も4区で区間新を出し、日本選手権でも結果を残した。1万メートルはエントリーの日本人選手最速タイム。さらにはユニバーシアードハーフマラソンの王者にも。これだけの実績を引っさげて、オーバーペースの激走は相当な覚悟がないとできないはずだ。


 テレビの前で見ていて、「日本人じゃかなわない」と思ったモグスの記録を抜けると思えた。モグスが三代直樹(42、順天堂大卒)の区間記録ペースを1秒上回るペースで狙ったように、相澤と隣の伊藤が二人で高速ペースを刻む姿が、時折映ったとき(先頭争いではないので)「あー駅伝ってこうだったよな……」と思う。

 

かつては箱根も「ジュラシック・パーク」だった

 

 山の神・柏原が去って、2015年の神野大地(青山学院大卒)の激走はあったが、箱根駅伝は気づいたら化石のように「止まっていた」のだ。

 トラックのスターたちが、その期待に答えるように自分の限界を見せつけていく一昔前の時代。そこは早稲田の大迫傑(28)も東洋の設楽悠太(28)もいた「ジュラシック・パーク」だったのだ。学生ランナーが自分たちの走り、根性、思いで「箱根駅伝」という大きな生き物を突き動かしている勢いがみなぎっていた。


 最近は化石になった姿を見て「この恐竜はこんな姿だったんじゃないか」「食べ物は植物だったのか、肉食だったのか」そんなことを語るように、箱根駅伝そのものがただの「文脈」になった。

 自分自身で生存能力を見つけられなかった「生物」は、周りに語り継がれるだけが生き残る手段なのだ。ティラノも、ラプトルも、ハルキゲニアも、古生代から現代までそれは変わらないルールだ。

 

 

 相澤の1時間5分57秒は、そんな「箱根駅伝」の生存能力を自分たちの手で取り戻すような走りだった。

「大迫さんや設楽さんと競り合いたい」

 箱根駅伝後、3月の東京マラソンについて聞かれた相澤は「祖先」たちを引き合いに出してこう語った。そして今回を振り返り、こうも話した。

「この記録を出せたのも、伊藤選手と一緒に競れたのが一つの要因。このあとも切磋琢磨していきたい」

 相澤にとって予選会日本人最速で、同じユニバーシアードでワン・ツーを争った伊藤は最高の並走相手でもあった。

 そして、その伊藤が終始笑顔のような表情で走りきったことは、「限界を楽しんだもん勝ち」とさらに背中を押したのかもしれない。

 


 このメッセージが東海大の館澤亨次(22)にも、はたまた東京国際大のイエゴン・ヴィンセント・キベット(19)にも届いたのだと信じたい。特に館澤の走りは、意地と覚悟を体現したような鬼気迫るものがあった。

「ヴェイパーフライネクスト%」という「遺伝子操作」があったのだとしても、この2020年の始まりに、スポーツが「見る、驚く、憧れる」といった原点に戻ったことは吉兆だ。

 もっと恐竜が暴れるように、がむしゃらなスポーツ界になってもいいのに。